〈報告〉第1回◎ベトナム戦争終結50年の日(4/30)

言葉を〈見つける〉時間・空間をめざして……〈戦後80年・路上大学〉第1回の報告

〈戦後80年・路上大学〉第1回(4月30日・ベトナム戦争終結50年の日)天候にも恵まれ、無事行うことができました。

内容については、別途(スライドの公開や、Zoom上での再プレゼンなどで)お伝えいたします。

取り急ぎ、場の雰囲気や「路上大学は何をする時間/空間なのか」、実践して気づいたことをご報告いたします。

前日時点では15〜30人くらいの参加者を想定していました。しかし当日、予想を上回る約40人のかたがご参加くださいました。

機材面の不手際があったにもかかわらず、みなさんが真剣な表情でプレゼンを聴いてくださりました。本当に感謝しています。

実際に1回やってみてわかった(気づいた)のですが、このプロジェクトは言葉を「探す」「見つける」試みなのかなと思いました。

プレゼン後の意見交換は、半ば予想していたのですが、活発な意見交換という雰囲気にはなりませんでした。日本のベトナム戦争へのコミットメント(関与)の深さに、驚いたかたも多くおられました。口が重くなる、言葉をいったん失う、そこから何とか言葉をたぐり寄せようとしている、そういう感じでした。

わたしたちは、そのことをネガティブにはとらえていません。自分がそれまで持ち合わせていた文脈やボキャブラリーでは語れないから、滑らかに話せない、それは程度の差こそあれ、わたしたち自身も同じなのです。

そんななか、高校生のかたや大学生のかたが感想を述べてくださいました。これから言葉を見つけていく、という発言もありました。

それを聴いてハッと気づきしました。自分たちが「路上大学」で目指していること、そしてうまく言語化できずにいたことは、そういうことなんだと。

植民地主義まみれのこの世界/日本とどう向き合うか……回数を重ねていくことで、それぞれの人が、少しずつ言葉を探す/見つけていく時間と空間になればと思います。

新宿駅東南口(大きな木の下)は、「日本人」以外の人も(もちろんアジアにルーツを持つ人も)多く通りかかる場所で、「日本人」であることが多少とも相対化される場所です。そのような場所で話をする/聴くことの、一種の緊張感のようなものも、これから大切にしていきたいと思います。

最後に。同じ新宿駅の南口で「本読みデモ」を不定期で行っている若い世代のかたが、(釣りやキャンプで使う)小さな折りたたみ椅子を多数持ってきてくださいました。

もともとこの「路上大学」は「本読みデモ」に一つの着想を得た試みですが、当日のインフラ面でも「本読みデモ」を行っているかたがたから協力をいただきました。路上大学は、路上大学以外の、無名の市民の試みから多くのヒントをいただき、協力もいただいていることを最後にお伝えしたいと思います。

ほんとうに感謝しています。

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