そもそもなぜ「路上」なのか。荒天時には中止せざるを得ない、雨風で機材が壊れるリスクがある、さまざまなノイズがあふれて落ち着かない……。
それでも路上を選んだのは、その空間が開かれているからです。そして、その開かれた空間で行われる「本読みデモ」というアクションに共感したからでもあります。
そして、これまでも世界中の路上が、学びの場や、大切な営みの場であり続けてきたからです。
世界のあちこちの(たとえば、難民キャンプの)路上では行われている「青空教室」やワークショップ。そこでは「脱植民地主義」の最先端の議論や実践が行われているかもしれません。また、路上は暴力に抗する「ケア」の現場でもあり続けましたし、あり続けています。
わたしたちは、路上でそのような場をつくってきた方がたを心からリスペクトしながら、「路上大学」を開いていきたいと思っています。