なぜ「植民地主義」が中心テーマか?

「路上大学へようこそ」のページでも書きましたが、次のような現実があります。

イスラエルの大量殺戮が未だに続き、しかもそれを擁護するような報道があふれ、ドイツやアメリカでは抗議する者を容赦なく弾圧し、日本の政府はイスラエルの兵器産業と協調的な関係づくりに勤しむ……植民地主義は過去の遺物ではなく、現在進行形で人々を踏みにじっている、それは今始まったことではない、日本を含めて世界(の「先進国」と呼ばれる国々)は未だに植民地主義を手放すことができていない……

そして発案者の2人を含めほとんどの「日本人」は、植民地主義的な発想や感覚を手放すことができていないと思われるのです。そういう状態のままで戦後80年に「平和」を考えても、それは誰かを踏みつけた状態で自分の「安全」を保とうとする姿勢に陥ってしまうのではないでしょうか。

繰り返します。「日本人」は、植民地主義的な発想や感覚を、十分には手放すことができていないと思うのです。

ここで84年前に時間を遡りましょう。下の写真は、「主婦之友」1941 年 9 月号に掲載された、 日本軍による中国・ 重慶市への空爆を絶賛する記事です。

「崩れよ!燃えよ!アジアの癌」と いう言葉で、 侵略と無差別殺戮を (自己正当化どころか)、善いことを行っているかのように報じています。約4年後、おそらく同じようなロジックで東京にも、その他の都市にも、そして広島や長崎にも、大量殺戮の焼夷弾や原子爆弾が落とされていくことを、この文章の書き手は想像できなかったのでしょう。自らがいかに異常な言葉を発しているのか、見つめ直すこともしなかったのでしょう。

このような、84年前の「日本人」の姿と向き合うことなしに、「戦後80年」を無難に議論しても空しいと思います。